世界日記

-On Top Of The World-

休学のはじまり

もうご存知の方も多いけど、今年度僕は大学を1年間休学します。本来は大学4年になるはずだった2019年を1年延滞します。春が咲き、新しい時代も宣誓されたこの4月から正式に休学期間のスタートです(未だに休学許可通知は届いていないのだけれど)

 

"休学"という制度すら知らなかったつい半年前、そこから駆け足のように2019の歩き方を考えました。就活という大波がやってきて未来を調査する。休学している同期など周りに全然いなくて、選択にはかなり対抗心と後味の悪さがあったり、今でもふと後悔するときがある。親や姉妹にもいい顔はされなかったし、それでも休学の道を選んだのは社会に出る前に本当の"大人"と呼ばれる歳になる前に未だ"学生"という最大の武器と特権と立場で挑戦したいことがあったから。最後の学生で「本気」をやりたい。大学3年間をそれとなく暮らしてきたわけではないと自負はしているけれど、月並みだけど、それでも何か今のまま何となく就活して、最期の卒業をして、社会人になってからの夢だと後悔する気がした。いつか絶対。だからこそ、一度走ることをやめて、立ち止まって、もう一度前の向き方を考え直して、やりたいことをこれでもかというくらい成し遂げて、力をつける1年間。話は変わらないようで変わるが、東京にいたとき電車に乗っていたら、人身事故があった、嫌な顔をする人は何人いるのか。いい歳をした僕らは舌打ちして、独り言で愚痴をこぼす。他人を配慮する余裕がなくなるくらいの義務や責任をスーツの背広に背負いたくないと思った。麗しき国に産まれ、健やかに育んで、この上ないほどの幸せを知っていて、それでも自殺する人がたくさんいて、誇りの持てない仕事に忙殺されて、これ以上大切なものを見失いたくないと思った。この国が嫌いなわけではない、むしろ安心して好きな側だ。それは帰国する頻度で思う。日本より良い場所はどこにも見つからない。言葉が通じる。マクドナルドの店員が、あんなに笑っていて、ジーンズの後ろポケットに無造作に財布を入れていたって、誰かに盗まれることはない。水道水から綺麗な水が飲める。トイレが清潔。信頼のある日本円とパスポートを片手に、海を越えられる。病気で苦しんだとしても、治療できる環境が整っている。大好きな家族と、友達がいる。だからこそ沢山の国と景色と人に出逢って、日本をもっと好きになりたいと想った。今在るものを大切に抱きしめたい。世界を歩いても尚、日の丸を背負っていたい。

浪人してさらに休学という大きすぎるタイムラグは、仕事をしたり、既に結婚し家庭もある中学や高校の同級生に次第に置いていかれるということ。大学のみんなは就活しているのに自分はなに目を逸らしてるのだろうか、本当にこの選択でよかったのかと冷や汗が垂れる。本当はみんなと一緒に卒業したかったし、サークルもゼミも惜しいぐらい続けたかった。休学というお金も時間もリスクとして隣にいるのだから、全てを遂げた1年後何かプラスを持って帰って来なければならない、大きく成長していなければいけないという無意識に作った自分ルールに勝手にプレッシャーを抱いて泣く夜。

 

それでも言い聞かせることは全て自分で選んだこと、決めたことであるということ。

舗装された道を選んで歩いてきた22年間から初めて脱出する。支配を卒業する。それでも選択も迷いも苦悩も後悔も音が止まる日まで続くのだろう。1年後、この休学を誰にそう言われるでもなく、心から良かったと言えるかどうかは自分次第。人生なんて変わらなくていい、ただ生きててよかった、そんな夜を探す1年間。

 

さあはじめよう、世界一周。