帰国
2020年1月13日、世界一周198日目。
ロサンゼルス空港にて。
ついに帰国だ。正直、実感はない。
あんなに帰りたかったのに、今はそんなことはなくて旅を続けたかったりなんて思う。旅路の途中、日常へと化した旅に飽きを感じてしまうこともあったが、投げ出さなくて良かった。
この旅で手に入れたものと失くしたものは数え切れないけど、きっと糧になる。この決断をして本当に良かったと心の底から思う。
続く日々を奏でよう。
いざ、日本へ。
管理人生活を終え
12月28日、世界一周182日目。
1ヶ月の管理人生活を終え、リマ空港にて。
12月は充実と堪能を繰り返した毎日だった。
管理人といってもこなす仕事は、毎日の清掃、ベッド作り、チェックインの案内、夜のシェア飯主導ぐらいで、それらは午前中にほぼ終わってしまう。だから有意義な午後のひと時を過ごすことができる。
毎日とはいわないが、宿には沢山の旅人がやってきた。はるか地球の裏側、南米までやってくるのだから変人が多い。
同じく休学して旅する同世代たちや
留学という道を歩む大学生
ワーホリ終わりのお姉様方
色んな世代がこの場所に集まった
毎日みんなでご飯を作った
オーナーのなつきさんにも本当にお世話になりました。
ただのんびりと暮らしていたわけでもなくて、色んな人の人生談をきいては、感銘して、盗んでは捨てて、これからの険しい道の歩き方を考えるヒントをもらった。それと同時にありあまる余暇の時間を使って、自分と一緒にこの先を描いてみる。
ひらめいた。
完璧ではないがこれからの生き方を見つけた気がした。まだまだやりたいことがいっぱいある。世界一周した意味もまた一つ見出せただろう。
この1ヶ月があって、本当に良かった。本当に楽しかった。
さあ、世界一周もとうとうクライマックス。
最後の国、ついにアメリカ大国へ。
熱狂を終え、熱狂を追え。
帰国まで1ヶ月
12月15日、世界一周169日目。
帰国日が決定しました。
2020年1月15日
ロサンゼルスから羽田空港着です。
セントレアと関空にはちょうど良い便がなかったため、一番コスパが良い東京着にすることに。
1月15日というのは、今年の6月29日に日本を出発してからちょうど200日目にあたるそう。
つまり"200日間の世界一周"というきりの良さに惹かれ、この日に帰国しようとサントリーニ島の夕陽をみながら物想いしたことをよく憶えている。
まあ理由はそれだけではなく、一番は資金が尽きてきたこと、保険がきれることや復学の手続き、はたまた引越しの準備やその安泰時期を狙って。この旅の中で、日本に帰ってやりたいことが山ほどできあがってたみたい。
不思議なことに、今の正直な気持ちは、意外にも世界一周に対する飽きというものは一周回って失くなっていて、今はゲストハウスの管理人生活がただただ楽しい。毎日変人たち(良い意味です)がやってきて、また違う生き方の選択肢を知ったり、盗んだり。
思い返せばこの旅の中で本当に色んな人間に会ってきた。それは同じパスポートを手にする人だったり、同じ言葉を話す海の向こう側の人だったり、あるいは言葉さえ通じぬ外来人であったり。出航前は300足らずだったツイッターのフォロワー数もいつのまにか4桁を超えていた。自分は人に生かされて、人と生きている。
帰国まであと1ヶ月。最後の国は、ついにアメリカ大国だ。
悔いのないように生きていこう。
ペルーのゲストハウスの管理人になりました
12月1日、世界一周155日目。
南米入りしたのはさほど3週間前なのにあっという間に毎日を感じる。
南米最後の国はペルー。先週はかのマチュピチュへ登頂し、達成感に満ちている。
突然ですが、今日からペルーのゲストハウスの管理人になりました。
ペルーの首都リマにある伝説の日本人宿
「お宿桜子」さんで1ヶ月間お世話になります。
なんでこのタイミングで管理人をしようと思ったのか、独り言のように呟いていきたいと思います。
*時間の余暇とお金の不足
あれは東欧にいた10月後半のこと。
東南アジア、インド、中東、ヨーロッパと旅をしてきて、この先の旅路に頭を悩ませていた。
一番ネックだったのがお金の問題。元々準備期間も短かったため、充分でない資金を手持ちに旅を始めていた。減り続ける口座の残額とにらめっこしながら悩んでいた。ビザ代やツアーなどでかなりの金額を要することになるアフリカ大陸を今回は諦めることにもした。
お金がない代わりに時間は余っている。
今年の年末はニューヨークで過ごそうと考えている。世界一周する前から夢だった「タイムズスクエアでカウントダウンをする」これだけは譲れない。有難いことに一緒に新しい年を迎えてくれるバックパッカー同志の人たちにも出逢えた。だから今年中に帰国という選択肢はなかった。
よって12月末にニューヨークに向かうというスケジュールで逆算した時、なんと12月いっぱいまるまる空いてしまうという極論に陥る。南米に1ヶ月弱使うとしても、それも11月で終わるだろう。
*新しいことに挑戦したい
6月29日に日本を出発してから、はや5ヶ月。然程足を止めることもなく、駆け足で旅をしてきた。あっという間という言葉がこれでもかと似合うほどあっという間だった。
時には世界一周という見栄えのよいものに飽きを感じることも沢山あった。非日常が日常に変わりつつあったから。絶景が絶景でなくなる瞬間も痛いほどよくわかった。
だからこの空いた1ヶ月を使って"ゲストハウスの管理人をする"という新しいことに挑戦しよう。一度立ち止まってみよう。まだみたこともない景色が無意識にうまれるかもしれない。
*刺激を求めて
管理人という仕事と同時に、このメリットは色んな旅人に出逢えるということ。面白い人たちに巡りあえるかもしれない。刺激が刺激を求めている。
はるか地球の裏側、南米までやってくる日本人はおそらく普通じゃない。それぞれがそれぞれの価値観や背景、生き方を掲げて旅をしている。
旅をする最大の目的は、色んな人生の選択肢を知ること。その選択肢を時には盗んだり、時には拒んだり、そういう風に自分の人生を描写していく。それが嫌味なくらい楽しい。
価値観なんか変わらなくてもいいから、視野を広げていきたい。
ということで12月28日まで、南米ペルーはリマのゲストハウス「お宿桜子」にいるので、ぜひ遊びに来てください。
ちょっとだけ宣伝すると、Wifiサクサク、24時間ホットシャワー、朝食付き、プール&サウナ利用可、そして主人の桜子ちゃんがめちゃんこ可愛いです。クリスマスにはBBQもするそうです。
宿のHP↓
13ヵ国にわたるヨーロッパの旅 1
11月8日、世界一周132日目。
ヨーロッパ最終地点フランスはパリにて。
まさか中東にいた頃はこれほど永くヨーロッパに居座ってしまうとは思ってもみなかった。物価が高いゆえ、さっさと周ろうなんて馳せていたから。
トルコを出発してヨーロッパ1ヵ国目ギリシャに到着したのは、確か10月になった頃だ。
この頃はまだ陽が照らしていて、Tシャツの中を風が泳ぐ。
人生初めてのヨーロッパに緊張と不安と少しの期待を抱えながら踏み込んだのを今でもよく覚えている。明らかにアジアとは違うそれに目を醒ます。
夢にみていたギリシャはもっと輝き、綺麗が行き届いていて白が咲く街だと思っていた。でも実際足を運んでみれば、街中に落書きがあって、地下鉄は汚れていて、ホームレスも物乞いもいるし、ゴミも腐る程落ちているし、路駐も沢山いるし。
あらためてうまれながらの固定観念は恐ろしい。
アテネからフェリーでサントリーニ島やザキントス島へも渡った。お金こそかかったが、カップルばかりで萎えに萎えたが、行って良かった。
サントリーニ島では世界一のサンセットに泣いたり、
ザキントス島では自転車で片道4時間かけてずっとみたかった景色を手に入れたり、
夏の匂いがした。
ギリシャを抜けた後は、ひたすらアドリア海沿いに国を超えていく。
アルバニアはバンの乗り換えだけで横目に通り過ぎてた。
モンテネグロに1泊だけすることに。
モンテネグロの首都ポトゴリッツァは国の中心とは思えないほど、静かでこじんまりとしていた。でもそこには生活をこなす人たちがちゃんといて、街として充分に機能していたはずだ。物価もヨーロッパにしてはさほど高くない。あたたかみがあって落ち着いた場所であった。何もないようで何かある。
出発以来切ってなかった髪を切ろうと思い立った。
適当に歩いて適当に見つけた理髪店に入った。おっちゃんに7ユーロでお願いする。髪の切り方の英語なんて知らないので、持ち合わせの単語とジェスチャーでなんとか伝える。案の定前髪をパッツンにされる。でもいいおじちゃんだった。相撲を知っているらしい。
翌日、早起きして朝7時のバスに乗り込む。とても寒かった。ここが始発らしく、誰も乗っていなかった。今日も海沿いの崖を進んでいく。
見えた。
世界一周する前からずっと行きたかった場所。確かいつか見た中村仁美のアナザースカイがきっかけだった。
ベストシーズンは夏らしく、観光客も多くない。
「魔女の宅急便」の舞台ともいわれる旧市街は、歩いていれば思わずルージュの伝言が流れてきそうな、おしゃれな街だった。相変わらず物価はエグく高い。
お金がないバックパッカーは旧市街に宿をとらないほうがいいと思った。多少歩いてでも少し離れたところに、10ドルぐらいで泊まることができた。それでも高いがヨーロッパは致し方ない。
2日目は街の裏に位置するスルジ山を登る。標高400mほど。
ロープウェイは高いので歩きで40分ほど。
ひたすら砂利道をくねくねと。スニーカーで良かった。登りながらの景色もこれまた素晴らしい。
これは絶景。水平線が果てしない。
3~4日の滞在を終え、港からフェリーに乗り込む。初めて船で国境を越えるのだ。
つづく。
世界半周達成
9月30日、世界一周93日目。
自動付帯のクレジットの保険もきれて、利用付帯をはじめる。6月29日に日本を出てもう3ヶ月が過ぎたようだ。
現在トルコはイスタンブール、サビハギョクチェン空港(なんて覚えにくい名前なんだ)
16時半のフライトで遂にヨーロッパに突入する。
地理は苦手だけど、ここトルコを最後に世界半周達成とすることにしたのだ。
インドを出てからこの1ヶ月は中東を巡った。
ドバイ、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコ(厳密には中東国ではないが)
ドバイでは猛烈な暑さと高熱と頭痛と下痢に襲われながらも、体調不全のまま人生初の砂漠に降り立ったり、
世界一に圧倒されたり、
いや本当にドバイは死ぬほど暑過ぎた。あと物価も高すぎた。
貧乏バックパッカーは門前払いだ。いつかまた旅行として誰かと洒落乙に訪れたい。
アゼルバイジャンは宿泊もせず1日の滞在だったが"魅力的"が集まっていた。
ヨーロッパ風な街並みに惚れてしまったり、
カスピ海で物思いしたり、
あと変な若者たちにも絡まれた笑
あまり日本人には馴染みのない国だが、ぜひおすすめしたい大切な場所だ。
夜行列車で国境を超え、ずっと楽しみにしていたジョージアへ。
近年かなりきてる国らしい。
その意味も手に取れた気がした。
僕はこの街に恋したのだ。
落ち着いていて、雰囲気があたたかくて、人が優しくて、物価も安くて、
最近この街に住みはじめた日本人を見かけたが、羨ましい限りだ。
初めてもっと居たいと思えた。
カズベキというゲームの中の世界のような小さな村に訪れたのも素敵な思い出だ。
そして二度とやりたくない二夜連続の夜行バスでついにトルコのカッパドキアへ。
気球で有名なこの街は世界一周に出る前から、絶対行こうと決めていた。
もちろん気球に乗りたかったが、某チャイニーズ観光客のおかげで年々上昇し続けているツアー価格はさすがに手が出なかった。
でもここで出逢った日本人のみんなと早起きして崖の上から見上げたあの景色は一生忘れないだろう。
代替といえばそうだが、レンタサイクルをしてギョレメを周遊した。
これもまたいい思い出。
次々と視界に侵入する景観は好きだった。
人生で初めてヒッチハイクをしようと決めた。
それも海外で。
トルコはそれがしやすいと聞いていたから。
案の定、一緒に来てくれた姉貴が英語ペラペラだったので大したトラブルもなく、トルコ人の優しさとあたたかさを愛した。
それにしても8車を乗り継いだが、長く待っても20分程だった。
驚くほどトルコの人たちは僕らを見かけるやすぐに車を停めてくれた。話をきいてくれた。
最後に乗せてくれたトルコ人のご夫婦はまだ宿を取ってないと言うと、何の躊躇もなく、「うちに泊まっていきなよ」と言葉をくれた。
僕は本当に人に恵まれている。
そして最後の都市、イスタンブールへ。
なぜか急にカウチサーフィンをしたくなった。
人の優しさに触れたばかりだったからだろうか。
ふとメッセージを送ったホストの方は快くOKをくれた。
しかも驚くことに彼は今家に居ないのに承諾だったのだ。
彼の家にシェアフラットしている日本人の遼平さんが出迎えてくれたのだ。
日本食をたくさん食べた。
居心地が良すぎて思わずフライト日まで長居してしまった。申し訳ない。
ありがとうございました。
色んな人に助けられた1ヶ月だった。
途中この旅に対する悩みの種も芽生えてしまった。
解決などしていないが、もう少し続けてみよう。
この先に何が待っているのか。
お金も尽きてきた。
ヨーロッパやアフリカの周り方もまだ悩んでいる。それでいい。
まだ旅は続く、歌いながら。
世界一周、飽きた?
9月13日、世界一周76日目。
正直に言います。世界一周飽きた。
— いわつりゅうき@世界一周×トルコ🇹🇷 (@ryuki_tabibito) September 13, 2019
こんなツイートでこんなにいいねくると思わなかった
インドを出たあたりから無意識に現れだしたこの感覚。
もともと世界一周中、日本には毎日帰りたいと思っている。
それはなにもマイナスじゃなくてこの旅に出てから日本をすごく好きになってきているから。
日本に帰ったらやりたいことリストが増え続けているから。
日本の素晴らしさに気づけたから。
清潔で
ご飯が美味しくて
日本語が通じて
家族や友達がいて
トイレが綺麗で
トイレに紙が流せて
優しい人たちがいて
信頼できる人がいて
書き出せばキリがなくて、そんな幸せが手に取るようにわかってしまったからこの旅に出て良かったと本当に思っている。
なんでだろう。どうして飽きたなんて思ってしまったのだろう。
思い当たるヒントを身体中探してみた。
思えば旅に出て3ヶ月、最高潮はインドの2週間だったと自負している。
価値観を覆されるといわれるインド
好き嫌いが分かれるインド
圧倒的に好きの部類に僕は化けた。
刺激だらけの毎日にまた来ようと誓いの旗を振った。
まさしく非日常だ。
「非日常が日常に変わってしまったら、旅はそこで終わりだ」
誰かにもらった言葉だ。
また誰かが「世界に出なくても非日常は転がっている」と提言していたが、それはそれでいいだろう。
僕は真ん中をゆく。
自分にとっての旅は非日常だからこそ美しい。
友人と行ったあの国や初めて一人で旅路を決めたその国は、日常の中に潜んだ非日常だった。
実際一周の旅に出た直後もそんな感じだった。
しかし要はルーティン化。
2、3ヶ月も海外で生活をしていれば嫌でもそれは日常になってしまう。
次の国を決めて、目指して、行き方をサーチして、航空券をとって、宿を決めて、
その繰り返しに飽きになり、嫌になることが沢山ある。
観光地にもあまり惹かれなくなった。宿に籠る日も散々ある。
自分は今どこで何を求めているのだろうと頭を抱えた夜もあった。
では、どうするか。
一時帰国を考えたこともあったが、それではあまりに中途半端だ。
ちゃんと一周はしたい。
待ってくれてる人たちには正面から再会したい。
だから宣言通り一周はちゃんとします。
この先は本当に行きたい、心踊る方にだけ足を運んで興奮したい。
まだ旅を続けたい。夢はなくとも。希望はなくとも。
そろそろ新しいことにも挑戦したい。
とっておきの非日常は自分次第だ。
なんせ世界半周は達成したのだから。(たぶん)
奈落はどうせ待っている。