世界日記

-On Top Of The World-

淡路島

 3月3日地元の駅を離れ、電車の車窓を眺めながら西へ。ゆらゆら揺られては妙な緊張感に踊らされていた。午前中に出発したはずが三宮駅に着いたのは短針が半日ぶりに2に追いついた頃。バスターミナルを探し、なんとかチケットを購入。慣れない環境と初めての感覚はいつも恐ろしい。まるで深夜高速を走るかのような大型バスに乗り込み、大阪湾沿いを進む進む。8年前の修学旅行の時みんなでせーのでくぐった明石海峡大橋を今度は上から並進し、淡路という島に初めて侵入する。目的地はその最南端。まずは福良という小さな町へ。島に入った感覚は然程無くて人が住んでいる情景に目を凝らした。スマホで映画を観ていたら、いつのまにか着いていた。1時間半もかかったらしい。天候は曇り。少し肌寒く、とりあえずホテルに向かうため急いでタクシーを探す(後から知ったのだがその時間帯ホテル専用シャトルバスがあったようでタクシー代を無駄にしたと憤怒)。不幸にも現金をあまり持ち合わせていなかったのでカードが使えるタクシーを当てにしたが、流石としかいいようがなく、みな現金のみだった。東京慣れはもうやめよう。ATMも見当たらないので仕方なく手数料を惜しんでコンビニでおろす。ついてない初日におどおどしながらホテルへ向かう。舗装された山道を走り、ようやく到着。16時過ぎだった。正面からお邪魔したらお客さんと勘違いされたらしく、丁寧な接客に申し訳なくなる。フロントの綺麗なお姉さんに「本日からお世話になります。Aさんはいらっしゃいますか?」と会社からもらった台本通りに、でも少し照れながらいい奴を演じる。近くの喫茶に連れていかれ、担当のAさんが来るのを待つ(ここで20分くらい待たされたのだが日曜の夕方、忙しいのだから仕方ない)この時、冷えた水を差し入れてくれた男性がのちに働く現場の店長だとは翌日知った。ようやくAさんが到着し、内装について案内された。職場のこと、出退勤のやり方、もろもろ儲け話をもらった。大きな荷物を抱えながら、ようやく寮部屋にたどり着いて移動日が終了。その日はぐったり疲れてしまい、毎の日利用できる大浴場にのぼせ、部屋で「3年A組」を観て、畳を下に眠りについた。

 翌日、勤務初日。出勤は11時とやけに遅く、違和感を感じていたが、後に慣れを持つ。和食、中華、フレンチ、宴会場、居酒屋、大ホール、一流ホテルの数ある職場の中で配属されたのは願ったり叶ったり和食であった。日本料理ならではの料理名、その料理を彩る食材、淡路島ならではの名物、夜の営業に向けて昼のうちに仕込むこと(掃除、小付け、翌日のセット準備、伝票作り、おしぼり作りなどやる事がない日は無かった)、そして接客のやり方、サービス料を取る責任さ、チェアサービスの大切さ、腕を後ろに組んではいけないこと、そしてお酒の作り方。一番厄介なのがこのドリンク類だ。生中、瓶、冷茶、冷や、酎ハイ、焼酎、冷酒、日本酒、Sドリンク、使うグラスも違ければ、投与する容量の決まり、どこに何があって、どのように作るのか。正直な話、このドリンク類を覚え、活用するのが本当に辛かった。所謂「覚えることが多すぎ問題」は何処の居酒屋でもそうなのだろう。辛い。自負だが、この3ヶ月でお酒にひどく知識を得たと思う。大凡昼勤務は2時間程度で終わり、中抜けシフトを体感する。

 休憩。昼食は支給弁当か従業員食堂。週前半は前者、後半は後者のパターンがほとんどだ。退勤後の食事はほとんど弁当だったことに、住み込みを何だと思ってるのかと憤怒したことは何度かある。従業員食堂も最初こそ美味しさと貴重さにイエス様にでも手を振ろうかと思ったが、気がつけば毎週同じようなレシピ、毎日赤だしと米。大学の食堂さえ恋しくなった。でも支給されるだけありがたいと思いなさい終わり。

 夜出勤はだいたいいつも16時だった。昼に愛情込めて作った小付けとおしぼりを配置し、鍋のだしをつけ、厨房に料理を取りに行く。本日の予約数と各々の料理の数をチェックし、余不足を確認(算数ちゃんとやっておいて良かった)。確定の来店時間をもらった団体から前菜と薬味をつけていく。ホテルのチェックインが予定より遅かったり、ディナーの予約時間を早めにくれないとホテルの方たちが困るので気をつけましょう。最終確認をし、バーカウンターの準備、台拭き(ジャーというらしい)の準備、オープンの身支度をする。すべてオープン中にスムーズに動ける為に。誰が為に。改めて接客の大切さを知る。17時半に表を開け、来店を待機する。お客さんがいらっしゃいませしたら、席と名前を確認し、案内する。この時絶対に席を間違えるなと店長に度々言われたことは今でもよく憶えている。チェアサービスをし、ドリンクをオーダーし、料理説明。あとは造りからマニュアルの順番通りに個々のお客さんの食事スピードに合わせて後出しを継続する。ゴールのデザートまで。と同時に済の食卓を片付けていき、食洗へ下げるという2つの進行を一気に操縦する。これを来店組ごとに繰り返す。日によって多種だがこれが20件以上だと死ぬほど忙しい。イライラするのも仕方ない。おおよそお店を閉じるのは21時過ぎ。あとは片付けをし、グラスを拭き、翌日のセットをし、退勤する。こんな和食料理屋の接客生活を3ヶ月続けた。

 仕事慣れしてきた4月を過ぎる頃には、B1のカラオケバーの勤務を一人で任せられるようになった。利用客層は年長の方が多いゆえ、来たるお客さんの十八番は昭和歌謡。バーゆえにドリンクを作りながら、歌を聴いていた。上手下手ゆえの苦痛はあくまでも言わないように。

 たまに朝食バイキングにまわされたり(その時は朝6時出勤という辛辣)、夕食ホールや宴会場に出向くことも少なくなかったが、その辺りの愚痴と辛さとちょっとした輝きは永くなるのでやめておこう。兎にも角にもそんなホテル生活を約90日続けた。もちろん弁慶の泣き所を思いっ切り蹴りたくなるような上司も客も散々いたし、不機嫌にもなるし、ストレスによる暴飲暴食で大きくなる身体に呆然と茫然をすることもあった。同世代の友達こそ有難いことにできたが、やはり孤独は貫かれてしまった。

 そんなワンルームの中で癒しと安らぎと興奮をくれる伝もあった。暇があればと映像を観たのだ。沢山観た。ひとつひとつ挙げるときりがない。仕事にも慣れてきた3月の終わり頃だっただろうか。プライムで「約束のネバーランド」という初見アニメの配信が始まったらしい。いつか後輩に薦められたことを覚えていたせいか休みの日を使って気軽さに観てみようと思った。罠にはまった。すっかり泥沼に。あまりの衝撃と面白さと爆発さで自分でも驚きだが、その日のうちに10話まで観終わってしまった。たまたま次の日が最終回の放映があると知ってどれだけ仕事の糧になっただろうか。数週間はあまりの泥沼に何度も何回も観直した。部屋の中で暮らす活力に出逢えてよかった。また4月23日には、久方に島を脱出し本島大阪へ。エドシーランの来日コンサートだ。ルーツミュージックと現代的なポップスを独り占めにし、"ひとり舞台"で世界最高峰のエンターテイメントを体現。最高に素敵な夜だった。島に戻ってからの余韻もしばしば。

 そして3ヶ月で一番死にたかった怒涛のGW10連勤がはじまった。遊泳する者もいれば、職に勤める者もいる。かれこれ大型連休に働いたことは数少なかったので、初めてあちら側を経験した。辛かったという言霊では捕まえられない程、辛かった。よくもまあ毎日こんなに人が来るものだ。忙しさゆえの忙しさ。10連勤なんて二度とくるな。あまり愚痴をこぼすのもあれなので締め。達成感だけは、それでいて素晴らしかった。

 多忙を終え、いよいよ終わりへとカウントする5月中旬。少し気持ちも楽になり、この隙間時間を何かに使えないかと考え、出逢ったのがマーベルだ。このMCUが最後の退屈な日常を根本から支えてくれたといっても過言ではない。世間でトレンドしているエンドゲームに追いつきたいとふと思ってしまった。やっと気づいたか馬鹿野郎。アイアンマンシリーズやサムライミ版・アメイジングスパイディは過去に幾度となく観たことがあったが他作品に触れたいと思う程一目惚れしなかったらしい(しろ)。ということで空いた1ヶ月を使ってMCU全21作品をみることにした。これ又どっぷり。完全にやられた。何だこの映画たちは。貼られまくる伏線にすっかり次へ次へとシリーズを続けていく仕事終わりの日々はよっぽど充実だった。映画館で、IMAXで、応援上映で、熱く語れる誰かと観たかった。長年のファンの方達が妬ましいくらい羨ましかった。EG付近まで観終えたのは期間満了1週間前。IWの喪失感から早く早くと映画館に行きたい衝動は自分でも気持ち悪かった。これまた出逢えて良かった。

 

 ここまでの走馬灯は強いて自分用。貴重だった3ヶ月を忘れないよう一生懸命振り返った。今更、なぜ初めてのリゾートバイトに淡路島という踏み入れたことのない異郷の地を選んだのか。誰かにもよく聞かれた。それは、逃げたくても逃げられない環境にわざと身を置くため。ただでさえ飽き性かつホームシックな自我に3ヶ月というブランクを新しい環境で過ごせば、何処かで甘えを許してしまうだろう。実際何度も辞めたくなる時はあったし、荷物をまとめて夜逃げしてやろうかと本気で考えたこともあった。手放したかった。辛かった。でも淡路島というはるか異郷の地をわざと選んだことで、帰りたくても帰りにくい状況を追い込み、無理をさせる。中途半端はいい加減辞めよう。そう思えば、大学生活も中途半端が多かったのかもしれない。だからこそ、己が決めた3ヶ月という決断を裏切らないように、自分を好きになれるように貫いた。

 そして遂に89日間達成した。我ながら自負しているのは、この89日で確実に何か成長したということ。今まで触れたことがなかった"経験"をした。それは休学の目的の一つかもしれない。休学してよかった、そう言えそうな気がした。あっという間、といえばあっという間。アルバイトという感覚はいつの間にか傍にいなくなっていて、ちゃんとした仕事を扱った。"接客”という肩書きを通して、ひとつ気づいたことがある。誰かに気づいてもらわなくてもいい優しさを与えられる人でいたい。偽善でもいい、でもそれがどこかの誰かの支えになればいい。大好きなソングライターもそんなことを唄っていた。さあ、精進。正念場の世界へ。

 

 どんな時もあたたかさと優しさをくれる淡路の海が好きだった。

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